アイドルそのものへ!

つねに今ここにいるアイドルそのものへと立ち戻って語ること。

【神宿から始めるアイドル入門】3.「裏の喪失」に抗う神宿運営(1)

 精神科医で作詞家の北山修は、社会から「裏」がなくなってきていると指摘する。かつて、町には「裏があって、闇があって、表に出てきてはいけないことがいっぱい起こっていた」(北山 2010)。しかし、今や、町は明るく照らされ、駅裏、屋根裏、裏口、裏日本――こういった言葉は、すっかり死語となった。

 アイドルの世界からも、「裏」がなくなってきた。以前は「舞台裏」にいて、ファンの前に姿を現すことがなかった「運営」や「プロデューサー」が、ファンたちの前に積極的に姿を現すようになった。SNSで、イベントで、ライナーノーツで、「裏方」たちは、自分たちがプロデュースしたアイドルについて語るようになった。ハロー!プロジェクトのプロデューサーであるつんく♂が積極的にメディア露出を行い、時にはライブ会場にまで登場し、重大発表を自ら行っていた姿は、まだ記憶に新しい。そして、こういった動きに呼応する形で、ファンたちも運営やプロデューサーについて論評するようになった。

 「表に出る」アイドルプロデューサーの一人である秋元康AKB48で取った戦略は、まさにアイドルの世界から「裏」をなくすというものであった。ファンの目にさらされることがなかった「楽屋裏」を撮影し、アイドルたちの生々しい苦悩をそのまま放映する(あるいは、そのまま放映しているかのように見せる)ことで、AKBは「ガチ」と呼ばれ、ファンの熱狂的な支持を得たのであった。宇野常寛は、秋元の手法を、「舞台裏を「半分見せる」ことで「ダダ洩れ」を行っている「かのように」思わせ」(宇野 2011)るものだと説明する。宇野によれば、この手法によりAKBはファンに「楽屋=ギョーカイをある程度見せることで消費者に発信者の側に立っているという感覚を与え」(ibid.)るのである。確かに、プロデューサーになってアイドルをプロデュースするゲームが流行り、「ファンがプロデューサーになる」というコンセプトを掲げたバックステージpassのようなアイドルが出現している現状を考えると、「裏側」を公開することには、多くのメリットがあるといえる。

 しかし、「裏の喪失」にあるのは、良い面ばかりではない。前述の北山はこう述べる。「人間には表裏があって、いま抑圧している部分があるにもかかわらず、社会から裏がなくなり、裏を出すところがなくなってしまった」(北山 2010)。「表」に出してはならない心の部分の置き場として、「裏」は必要な場所でもあった。しかし、「かくれんぼをした時に隠れたあの屋根裏」(ibid.)や「大人に隠れて面白いことをいっぱいやった路地裏」(ibid.)は社会からなくなってしまった。こうして、私たちの心は、逃げ場を失って、少し窮屈になっている。

 アイドルの世界でも「裏の喪失」は問題を起こしている。インターネットを少し探すだけで、プロデューサーの言動や運営の方針に対する罵詈雑言の書き込みを、いとも簡単に見つけることができるだろう。次に、プロデューサーやスタッフといった「裏方」が表に出てくることによって、アイドルの世界に具体的にどのような問題が起きているのか、なぜそのような問題が起きるのか、そして神宿運営がアイドル「裏の喪失」の時代にあって、どのような戦略を取っているのかを見ていくことにしよう。(続く)

 

【参考文献】

宇野常寛(2011)「AKB48の歌詞世界 キャラクター生成の永久機関」、『別冊カドカワ 総力特集 失われた詩人としての秋元康KADOKAWA

北山修(2010)『最後の授業――心をみる人たちへ』みすず書房