アイドルそのものへ!

つねに今ここにいるアイドルそのものへと立ち戻って語ること。

『原宿発!神宿です。』全曲レビュー track 8. ぱらしゅ~と☆らぶ

 ピコピコの中田ヤスタカサウンド、要はPerfumeである。私が勝手に言っているわけではない。作者のながいたつも、インタビューにおいて、「「今回の神宿はPerfumeだな」って言われるような曲を、あえて作りました」と述べている。確信犯である。歌詞中に「チョコレート」も入っているし。

 しかしながら、本曲は神宿によるPerfumeごっこ以上の意味は持たず、「ながいたつには色々な引き出しがあるのだな……」、「神宿メンバーも、こういった曲にも対応できるのだな……」程度の感想しかない。

 本曲を聴いても特に感想は抱かないが、一方で、アルバムにバラエティがあるのは、素晴らしいことだ。これは、本アルバムのほぼすべての楽曲を、一人の作曲家が書いていることと関係がある。アマ・プロ取り交ぜて様々な作曲家がいる現在、アイドルの楽曲は往々にして、様々な作曲家に依頼される。様々な作曲家が参加すると、そのアイドルの楽曲のバラエティは増すか? いや、逆に、画一化されてしまうのだ。

 解散直前の℃-uteを思い出してみよう。つんく♂が作曲を一手に担当していた時代は、バラエティに富む楽曲を歌いこなしていた℃-uteだが、つんく♂が一線を退いた後の解散直前期には、様々な作曲家が書いた、似たような解散ソングをこれでもかと歌っていた。

 なぜこのようなことが起こってしまうのか。逆説のからくりはこうだ。様々な作曲家に発注を出すものの、発注側は常に同じ人だ。発注時に伝える、イメージも、自然と似たようなものになってしまう。さらに、同時期に制作する場合、作曲家はお互いの曲を参照し、差別化を図ることもできない。こうして、いくら違う作曲家が書いても、似たような曲が量産されてしまうのだ。

 一人の作曲家が全ての曲を書けば、「この前はアップテンポな曲を書いたから、次はバラードを入れよう」、「コール&レスポンスのある曲も一曲は必要だな」といったように、俯瞰的に全体の調整を行うことができる。作曲家の小山良太は、この俯瞰的な調整を、次のようなたとえで述べている。

僕の場合はそれ[引用注:ミュージシャンやバンド、ユニット]を1つの「お店」だと考えた時に、「そのお店にどんな品物が揃っているとお客さんが喜ぶのか?」ということを考えるんですね。そこから、「このお店には今、こういう品物が必要だから作ろう」という発想で、メロディや歌詞をディレクションしています。(『SOUND DESIGNER』2013年11月号)

お店全体を見渡し、今必要な品物(楽曲)は何かを考えることができる人材が必要なのである。そういった意味で、本曲はながいたつの「店長」としての才能を示す一曲であるといえよう。

 ちなみに、本曲「ぱらしゅ~と☆らぶ」は、羽島めいのお気に入りの一曲らしい。